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【書籍紹介】養老孟司・甲野善紀『自分の頭と身体で考える』 【10月18日に買った本の紹介⑥】

『自分の頭と身体で考える』養老孟司甲野善紀 PHP文庫

 

 

目次

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kindle unlimitedで身体科学・武術・栄養学の本をよく読み漁るんだけど、これはそのときに関連書籍で度々おすすめに出てきて気になっていた本。

unlimited対象だからそのうち読みたいと思ってたんだけど、このお二方の本は電子じゃなくて絶対に紙の実物で読んだほうがいい、と思ってたので、棚を眺めてて思いがけずこのタイトルを見つけたときは嬉しかった。

1999年初出という古い本なのに電子化されているということは、それだけ読み手がついているという証で、内容には期待が持てると思う。

ちなみに、お二方は『自分の頭と身体で考える』の前にも共著で『古武術の発見』を出しており、この本で2冊目の共著となる。

 

 

 

 

著者紹介

養老孟司氏は解剖学者、甲野善紀氏は武術研究家という肩書きで紹介されることが多く、一見するとお互いあまり接点がなさそうにも見える(「氏」とつけて呼ぶのがとても烏滸がましく、本当はもっと敬意と親しみを込めて両者とも「先生」と呼びたい…)。

養老孟司氏は科学者でありながら「科学」に対して否定的な意見を持っている人で、「人の体を一様に数値で計ろうとすること」のおかしさを多くの媒体で語っている。
(参考:「養老孟司 講演「身体と日本人」」https://youtu.be/1FgUQpgVGWM

例えば、患者の診察や健康診断では、骨格や神経など誰一人として同じ身体を持つ人はいないのに、「数字で基準を作って健康状態を把握しようとするのは無理がある」と主張している。
患者が不調を訴えているのに、数値に異常がないから健康体として病院から追い返すような状況が生まれるのは、「数字だけを見ていて患者本人と向き合わなくなってしまったからだ」と言う。そして、その本末転倒さに気づかない、また、数字や機械がなければ診察すらままならない医者が現実には大多数だということを批判していた。

そのような意見が生まれるのは、生きた患者と接する医者とは違い、医学の中でも人体解剖を通して死後の人間と関わる機会の多い「解剖学」という分野を専門にしていた経験が土台にあるのだろうと思う。

甲野氏は、スポーツ競技や筋トレ・体操教育のように、運動がある程度「型」として画一化された現代では、完全に表舞台から去ってしまった「古武術」を専門にしている。

スポーツは身体能力の優劣をこれまた数字で競うものとなっているが、それに対して古武術は「動きの質そのものを高める」ことを主目的としている。
武術においては、動きの質を求めるために、「他人の目から見ても明らかな基準(数字)」よりも、他人の目からは変化が読み取れないような極めて主観的な身体操作感覚が求められる、と甲野氏は説明している。

明治以前では運動(武術)に関して様々な流派があり、それぞれが盛んに独自の発展をしていたのが、近代化に伴って軍隊式の体操教育や競技運動が広まるにつれ、主観的で文章化しても何が何やらわからない高度な運動である武術は忘れ去られてしまったのだ(甲野氏ですら、数百年前にいたであろう達人には全く敵わないと自己評価している)。

 

内容紹介・感想

このように、お互いに境遇や哲学が似ているところがあり、専門は違くとも意見や発想で息が合う二名となっている。

本書の内容は対談形式で書かれている。
目次を見ればわかるように見出しの末尾にどちらかの名前があり、お互いに様々なトピックを投げ合いながら、対談らしくあらゆる方向へ話題がジャンプしていく。それでいてひとつひとつの内容がどれも非常に濃く、付箋を貼る手が止まらず読み進めるスピードが遅くなってしまうほど。

私はお二方の身体観について知りたくて買ったのだけど、話題は身体論に留まらず、科学・宗教・教育・歴史・政治・法律など実に多岐に渡っており、この本一つでどれだけ知的好奇心が刺激されたかわからない。

甲野氏は本書の「文庫版刊行に寄せて」の中で、「お互いに相手方の話を聞いて、そこで自分の内側から『気づき』が立ち上がってくる醍醐味」と知性に溢れる人と対談をすることの楽しみを表現していた。

本文に目を通すと、内容は硬派だけども、確かに口調は砕けていてそのような楽しげな様子が感じられる。
読み手としても、それ相応に苦戦を強いられる手強い本だけれど、その楽しげで知的な会合に同席できること、それだけで幸福に思える。そういう本。