毎日22時に更新します。機密情報は守ります。

【日記】2022/11/18

5:23

日記を人の目に触れさせようと思うと、文章の体裁をきちんと整えようと考えながら書くことになる。
そのため、誰にも見せない前提で書く日記よりも書き進めるスピードがかなり遅くなるみたいだ。

目安として、後者だと10分で1000字オーバーするくらいの文字数で書き進めるのだけど、今はその半分も書けたら万々歳な感じがする。

 

ここ1週間くらい記事更新の調子が悪かったのは、1日の可処分時間をメリハリを付けずに過ごしてしまってためだ。

日課にしていた日記を書くことと、前日に明日やりたいものを書き出すことを疎かにしていたら、早朝や業後の時間の進みがとても早くなったように感じている。
前日にやることをリストアップした日は、しなかった日に比べて時間の使い方で都度考える手間が省けるため、頭がクリアになって集中力が増す。

自分の精神的な性質も相まって、こういう良い習慣が断続的に続いたり続かなかったりしながら生活するのが日常茶飯事になっている。

自身の内なる心の動きは、立ち止まって目を凝らさなければ見えてこない。
こうして自身の直近の行動傾向を日記に起こすことによって、その心の動きを捉えやすくなる。

読書は楽しいし、一昨日のダンスセッションやエアリアルの練習のおかげで運動のモチベーションもかなり高まってるけど、今一度日記に時間を割くことを忘れないようにしたいと思った。

 

12:46

一昨日の運動で負傷した利き手親指の付け根が原因で仕事の質に支障が出ている。
運動直後は痛んでなかったのにいつの間にか怪我していて戸惑ったし、どの動きが悪かったのか見当がつかないから困ってしまう。

あまり痛みの出ないように気を遣いながら包丁を使っているんだけど、普段と違う筋肉の使い方をするせいで慣れない筋肉を働かせることとなり、それが神経の疲労に繋がっている。

関節一つの負傷で、肉体から精神までここまで大きな影響を受けるとはちょっと侮っていた。
いつも仕事めちゃくちゃ楽しいのに、今日は「休憩まであとどれくらい時間あるかな」と時間が早く経つのを望んでいる自分がいた。それに気がついた時は平時との心境のギャップに驚いた。

普段身体に無いハンデを負いながら活動するのは物凄いストレスがかかるものなのだな、と良い勉強になっている。
年末忙しいからそれまでに回復しているといいなあ。

 

【日記】2022/11/17

20:37

ブログ開設から4週目に突入

昨日の時点で、このブログを始めてから丸三週間が経っていた。
芸術活動で身を立てることを目標にしている上で、目標に達するまでの下積みとして、自身の言葉で物事を語る場を作る必要がありそうだと思って開始したブログだけれど、今一度その目的に適った発信ができているかどうか考え直す必要がありそうだ。

ただ単純に、自分の頭の中で考えていることを言葉にして残すことのみが、ブログの目的として重要だったはず。
しかし、日を経るごとに読者意識が強くなっていって、記事の装飾とか数字とかに目が移るようになっていった気がする。

間違いないと思う。

ストイックなのはいい事だけど更新ハードル上げすぎると流石にきつい

元々自分の行動を日記につけることが日課になっており、それの延長として人の目に触れる文章も書き始めることにしてみようと思った。
また、自分が普段読んでいる本から何を吸収していて、本を読んだ結果何がアウトプットできるのかを、自分の表現手段である踊りだけではなく言葉でも伝えられるようになりたかった。

その二つの発想が交差して、「毎日ある程度の質を担保した記事を投稿し続ける」というハードなタスクを自分に課すようになってしまったんだろうなあ、と振り返る。

ブログ開始した当初は記事投稿することがもう楽しくて仕方がなかった。日々徐々にタイピングが上達していくのも楽しかった。
ただ、その楽しさでモチベーションが有頂天になってしまい、「毎日2000字は書きたいな」と欲求値がぐんぐん上がっていっていた。『木に学べ』の書評を投稿していた時期。

結果、文量を増やした分執筆に割く時間も増え、本来は補助手段であったはずの執筆がメインであるはずの踊りを磨く時間を圧迫してしまっていた。
文量が増えて何に一番手間が掛かるか、って圧倒的に文章の手直しで、助詞の修正や語彙や語尾のダブり、表現の訂正など文章が増えれば増えるだけ拘りたいポイントも多くなっていくので、それが一番きつかった。
当時書評が中心だったので、著者の情報をリサーチしたり本の中身を点検したりして文章の整合性を整える手間もかなりきつかった。これは本当に毎日やるものじゃあないね…。

『木に学べ』の記事から二週間もまだ経っていないけれど、その当時の欲求に今既に応えられなくなっているから、無理なペースだったんだなと再認識した。

「内省」

無理だとわかったなら修正が必要だけど、どうするべきか。
毎日投稿はしたい。毎日書いた方が閲覧してくれる人が増えやすいのはもう実感してる。
書評は数日にいっぺん、毎日投稿するのは日記だけ、みたいに書く内容に規則性を持たせるべきなんだろうなと思う。

また色々試しながら更新継続していこうと思う。
一度の練習で多くを得ようとするよりも、何より大切なのは継続することだというのは踊りをやっていく中で身体が教えてくれたことだ。

今一度それを思い出して、また道を見失いそうになったときはまたここに帰ってくることにしよう。

一番大切なのは、内省すること。定期的に自らを省みて都度軌道修正をすることだ。

 

20:58

新しい動きを習得するのは楽しい

昨日丸一日オフで、午前中にダンスセッションに参加したあとトリッキングの「エアリアル」とアクロバットの「ガンビ」を教わった。
ガンビのほうは動画撮影中に全然納得できる映像が残せなかったから、Twitterに載せたのはエアリアルだけなんだけど。

身体に新しいレパートリーを教え込むのがすごく楽しくて、身体の中に新たな語彙が生まれるたびに身体が自由になっていくのを感じる。

本を読んだり勉強したりすると目に見えるものの感じ方が変わるようになる、というのはよく聞く話だけど、身体を豊かにすることでも世界の見方を広げられると私は感じている。
ただし基本的には、それは道具を使わず自身の身ひとつで運動をする場合に限られる。

身体が豊かになることと、義務教育で叩き込まれた規則的な身体の使い方から自由になることは比例関係にある。
こういうことを考えるたびに思い出すのは、『体の知性を取り戻す』という本。

身体と協調する

私が踊っているのは、運動をし続けているのは、自分のもののようでいて実は自分のものではない、「自分の身体」と仲良くするためだ。
私の中には私より前に生きていた先人の記憶は残っていない。

しかし、身体の中には「遺伝」という形で、先人たちが代々残してきた足跡がたくさん眠っている。
身体と仲良くしていれば、身体そのものが持っているその足跡の意味を、私に教えてくれるようになるのだ。

身体を動かし、よく休めて労わる。その繰り返しで私と私の身体はどんどん親密になっていく。

私は歳を取ることを嫌悪しておらず、むしろ楽しみでいる。
それは、私が知らないことを、これからまだまだたくさん身体が教えてくれるだろうことを期待しているからだ。

これは、自然に遊び、運動を楽しむ者にしか判らないであろう喜びである。

今日の更新はお休みします

体調不良のため、今日の更新はなしにします。

今まで毎日更新と2000字程度の情報量を保つことを心掛けて記事投稿をしていました。
しかし、ブログを始めてから1日の時間配分をまだうまく決めきれておらず、執筆に時間を割かない日が徐々に増えていった結果、初期に作ったストックを早々に使い切ってしまい、一週間ほど前から毎日当日の更新に追われていました。

今日みたいにアクシデントで時間の確保が急に難しくなってしまって初めて、現状の記事執筆環境等の見直しが必要だと判りました。ちょっと反省します。

今日空いた時間で色々考えて、また明日から改めて記事投稿していこうと思います。

いつも読んでくださっている方々には感謝いたします。
また明日からお会いしましょう!

今日、散歩しながら考えたこと

 

今日は仕事が休みだったので、ブックオフへ本の買い出しに出かけた。
そのときに購入した『風土』の内容を読んで思ったことが上のツイート。

これからも下積みを頑張ります。

本を読むことの何が楽しい?

読書をしている最中には、自分の内面に無限の宇宙が広がる。

自分がどこに居ようが、時すらも関係なく、本を開けばたちまち著者と自分との対話が始められる。
それを遮ることは何者だろうとできない。

知らないことを知るために本を読んでいるのはその通りなのだが、それ以上に著者の文体や選ぶ語彙、リズムを通して著者自身の人柄を垣間見るのが楽しいのだ。

特に楽しいのは、古典や古書を読むこと。

本は紀元前から存在しており、記録媒体として最も歴史の長い文物だ。
国と時代を越えて様々な人々の営みを知ることのできる唯一のメディアである。

古い本であればあるだけ、今までにそれを読み継いできた人がいる。
今夜空に浮かんでいる星が、原始時代に光っていたものとほとんど変わりがないように、その内容が時代の流れと共に、一定の人々の間に生き続けていることを想像すると、たまらなくロマンチックな気分になってしまう。

時間をかけてゆっくり本を読むのは言わずもがな幸福なことだが、時間がないときにこそスイッチを切り替えるために、一度立ち止まって本を味わおうとするのが日常の中で大切だなと常々思っている。

10/26にブックオフで買った本(15冊2500円)

本っっっ当〜〜〜にブックオフは下積み人間の味方。

出版業界のために古書は選ばず新本を買うべきだ、という意見もあるけれど、新本書店も古書店も相互作用で成り立ってるものよ。

仮に将来自分が本の出版に携わることがあったとしても、古書を歓迎し続けていたい。

だいぶ偏見かもだけど、私が信頼してる書き手や作り手ってみんな古書の存在にオープンな気がするんだよな。
それどころか自分の著作に関しても古本で買えばいいという人までいたりする。

 

前回のブックオフ購入物紹介はこちら。
10/22にブックオフで買った本(18冊4500円) - 北澤雑記

 

 

10月26日

f:id:ck_mugera:20221112011950j:image

今回は、一週間前に訪問した店舗に再度向かった。
一週間でおおよそどのくらい棚の入れ替わりがあるのか確認してみたかったのと、先週見逃してたかもしれない良書を発掘したくなったのが理由。

今回の気分はビジネス書だったようで、購入物の半数はその関連の本になった。

まあブックオフみたいなメジャー店舗って文庫小説やコミック、ビジネス書などの市場によく出回ってる本が必然よく集まるイメージがある。
その中で棚の狭い芸術書や学術系の文庫で掘り出し物探すのが楽しいんだよね。
自然と自分の求めるものに合う良書を探す能力が鍛えられてる実感がある。

色んな年代の本が雑多に集合しているので、「どの時期にどういう流行りの傾向があるのか」とか、「今流行ってるこのトピックは

この頃から流行の兆しがあったのか」、みたいな世間の動向をなんとなく探れるのも古書店のいいところだと思う。

先人の下積み時代を知る

『俺たちのR25時代』と『R25つきぬけた男たち』は、『R25』という25〜34歳のビジネスマン向けフリーペーパーに掲載されていた人気企画の一つをまとめて文庫化した本。
その企画は、「BREAK-THROUGH POINT〜つきぬけた瞬間」という題。
様々な業界で活躍する人々に、25歳前後の下積みをしていた時代についてインタビューを行う企画であり、インタビュー相手に対して以下のような企画説明がなされていたと本書には書かれている。

「この企画は、カッコいい大人のみなさんに、とくに読者層たる25歳以降の人生をお話いただくものです。25歳の男たちへのメッセージも併せて頂戴し、先行き不安な現代に生き、元気がないといわれる男たちへのヒントとなるような記事になります」

それぞれ2005年・2006年に発行された本。
R25』は全く馴染みがないんだけど、その後身と思われる「新R25」のYouTube番組はいくつか見たことがある。
「新R25」はサムネの装飾や出演者の人選から、自己啓発的な要素を多分に含むメディアという印象がかなり強くて、あまり積極的に観るべきものではないかもなーと思っていた。

しかし、この2冊は若干古い本だからなのか人選がだいぶ違ってて、ミュージシャンや俳優など、文化人が大半で構成されていた。
自分の目指している方向性に近い方々の話を読めるのはとても貴重だ!と思って、食い気味で買った。

総勢は以下。200円でこの50人の来歴を知れるなんて破格すぎないか?

f:id:ck_mugera:20221112210959j:image

今回の本は、買ったはいいものの、今は別に買った新本に熱中しているためまだほとんど触れてない。

厚くて体力が要りそうだけどすっごい気になってるのは『〈インターネット〉の次に来るもの』。近いうちに書評が書けるようにするぞー

2022/11/10のツイート備忘録

『ファスト教養』を読んでいて思うところがあり、衝動的に書き残したツイートたち。

 

 

 

 

『ファスト教養』の著者は会社員と音楽ライターを兼業している。
ビジネスマンと文化人の両コミュニティに属しているだけあって、内容の信憑性が高い。

同じくビジネスと芸術の両軸で立とうとしている私には参考になる活動モデルだなと思う。

世に蔓延る教養不足を煽るマーケティングには踊らされないようにしたい、とそう思い返させてくれる面白くて良い本。おすすめ。
後日きちっと書評します。