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10/26にブックオフで買った本(15冊2500円)

本っっっ当〜〜〜にブックオフは下積み人間の味方。

出版業界のために古書は選ばず新本を買うべきだ、という意見もあるけれど、新本書店も古書店も相互作用で成り立ってるものよ。

仮に将来自分が本の出版に携わることがあったとしても、古書を歓迎し続けていたい。

だいぶ偏見かもだけど、私が信頼してる書き手や作り手ってみんな古書の存在にオープンな気がするんだよな。
それどころか自分の著作に関しても古本で買えばいいという人までいたりする。

 

前回のブックオフ購入物紹介はこちら。
10/22にブックオフで買った本(18冊4500円) - 北澤雑記

 

 

10月26日

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今回は、一週間前に訪問した店舗に再度向かった。
一週間でおおよそどのくらい棚の入れ替わりがあるのか確認してみたかったのと、先週見逃してたかもしれない良書を発掘したくなったのが理由。

今回の気分はビジネス書だったようで、購入物の半数はその関連の本になった。

まあブックオフみたいなメジャー店舗って文庫小説やコミック、ビジネス書などの市場によく出回ってる本が必然よく集まるイメージがある。
その中で棚の狭い芸術書や学術系の文庫で掘り出し物探すのが楽しいんだよね。
自然と自分の求めるものに合う良書を探す能力が鍛えられてる実感がある。

色んな年代の本が雑多に集合しているので、「どの時期にどういう流行りの傾向があるのか」とか、「今流行ってるこのトピックは

この頃から流行の兆しがあったのか」、みたいな世間の動向をなんとなく探れるのも古書店のいいところだと思う。

先人の下積み時代を知る

『俺たちのR25時代』と『R25つきぬけた男たち』は、『R25』という25〜34歳のビジネスマン向けフリーペーパーに掲載されていた人気企画の一つをまとめて文庫化した本。
その企画は、「BREAK-THROUGH POINT〜つきぬけた瞬間」という題。
様々な業界で活躍する人々に、25歳前後の下積みをしていた時代についてインタビューを行う企画であり、インタビュー相手に対して以下のような企画説明がなされていたと本書には書かれている。

「この企画は、カッコいい大人のみなさんに、とくに読者層たる25歳以降の人生をお話いただくものです。25歳の男たちへのメッセージも併せて頂戴し、先行き不安な現代に生き、元気がないといわれる男たちへのヒントとなるような記事になります」

それぞれ2005年・2006年に発行された本。
R25』は全く馴染みがないんだけど、その後身と思われる「新R25」のYouTube番組はいくつか見たことがある。
「新R25」はサムネの装飾や出演者の人選から、自己啓発的な要素を多分に含むメディアという印象がかなり強くて、あまり積極的に観るべきものではないかもなーと思っていた。

しかし、この2冊は若干古い本だからなのか人選がだいぶ違ってて、ミュージシャンや俳優など、文化人が大半で構成されていた。
自分の目指している方向性に近い方々の話を読めるのはとても貴重だ!と思って、食い気味で買った。

総勢は以下。200円でこの50人の来歴を知れるなんて破格すぎないか?

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今回の本は、買ったはいいものの、今は別に買った新本に熱中しているためまだほとんど触れてない。

厚くて体力が要りそうだけどすっごい気になってるのは『〈インターネット〉の次に来るもの』。近いうちに書評が書けるようにするぞー

2022/11/10のツイート備忘録

『ファスト教養』を読んでいて思うところがあり、衝動的に書き残したツイートたち。

 

 

 

 

『ファスト教養』の著者は会社員と音楽ライターを兼業している。
ビジネスマンと文化人の両コミュニティに属しているだけあって、内容の信憑性が高い。

同じくビジネスと芸術の両軸で立とうとしている私には参考になる活動モデルだなと思う。

世に蔓延る教養不足を煽るマーケティングには踊らされないようにしたい、とそう思い返させてくれる面白くて良い本。おすすめ。
後日きちっと書評します。

 

 

10/22にブックオフで買った本(18冊4500円)

私は一年の中で、どの時期に「どういった興味があるか・どういった行動をとるか」ということと、「どのくらい活動的か」ということがおおよそ定まっている。

例えば、冬の終わる3月下旬から新生活の時期である4月いっぱいまでは一年の中で最も活動的で、7月には一度精神状態を悪くして8月頃に調子を取り戻し、9月下旬辺りの日没が早まる時期にもう一度調子を悪くする。

不思議なことに、毎年毎年同じ時期に同じような活動傾向が見られるので、調子を悪くする時などは無理に矯正しようとせず、いつからかそれを受け入れて、状態が回復するまで穏やかに過ごそうと思うようになった。
動こうと思っても動けない時期があるため不便といえば不便なのだが、気候や月と太陽の動きなどの環境要因にかなり左右されて生活をしているんだな、と常日頃から実感する機会があるのは、「自分の身体は自分の思い通りにならない」という教訓を得るきっかけになっている。

この考え方は、一個の生き物として、またダンサーとして持っておくべき観念なんじゃないかと思っている。

私は毎年、10月から11月にかけては、運動よりも本を読むことに注力する傾向にある。
本に触れる時間が増すのはもちろんだし、自由時間に書店に行く回数や、書籍に使う金額も目に見えて増えるようになる。

この記事では、ここ2,3週間の間に購入した本を整理がてら記載しておこうと思う。

10月中旬に生まれて初めてブックオフで古本を漁ったのだが、今まで知らなかったブックオフの便利さに気がついてしまい買書衝動が例年にも増して爆増してしまったなと言う反省はある。

書店に行った回数(新本・古書店含めて)はおよそ10回、買った本の総数は100冊は超えている。きちんと数えてないけど多分そう。

いつどんな興味で本を買い漁ったのか、思考の整理がてら書き置きしておく。多分数日はこの類の記事しか出さない。

 

10月22日

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古書のためのブックオフ訪問2回目。18冊。

1回目は10月18日で、そのとき買ったものは下記の記事に載せている。
【書籍紹介】『茶の本』『壊れる日本人』【10月18日に買った本の紹介①】 - 北澤の雑記ブログ

1回目とは別店舗。この2回目のブックオフはもう本探すのが楽しくてしょうがなくて、文庫に新書に単行本に、ジャンルも色々なものを漁りに行った。
3時間くらい滞在してたと思う。

買わなかったけどそれなりに興味は惹かれてブクログに書名だけ控えておいた本も10冊くらいある。これで金額は4500円くらい。

ジャンルは大まかに言えば、芸能・評論・芸術・文学・エッセイ・日本史・IT・現代思想だろうか。

映画の本とアニメの本

大林宣彦の体験的仕事術』と『アニメを仕事に!』は、映像関係・それぞれ映画とアニメという別ジャンルの制作環境について書かれている本。

前者は大林氏の映画に対する持論や今までの仕事の経験が書かれている本で、後者はアニメ制作の中でも「制作進行」という若手が担当する(けれど納期を厳守するために超重要)役職の仕事内容について書かれた本。
映像分野として共通するところとそうでないところを比較して読むのが面白そうだな、と思って買った。


今時たった一人で制作を進めることのできる表現分野の方が珍しい。
ダンスも例外ではなく、そもそも踊りを見せるための会場作りから準備しないといけない分野のため、踊り手が独力で作品を世に広めるのは極めて稀なケースと言っていい。

多人数の制作では、周りとの協調と自身の作品へのエゴのバランスをうまく保つことが良いものを作る上で重要だ。
「昔は過酷な制作環境でこそ良い作品が生まれてきた」と聞くこともあるけど、今は時代が違ければ社会の状態も違う。

その点で、大林氏の活動期とアニメ流行期を合わせてみると割と長い年代の映像制作環境(の一端)を追うことができるなと思ったので、ぜひ並行して読みたい本だと私は認識している。

制作当事者が語ることの厚み

『ガウディの伝言』の著者である外尾悦郎氏は、ガウディが設計し今なお未完のまま建築工事が続いている「サクラダ・ファミリア」の建築に携わっている彫刻家。

ガウディのことはちくまプリマー新書の『よみがえる天才6 ガウディ』でしか触れたことがないが、その生涯や思想についてはぼんやりとイメージを掴めていた。

今現役でガウディの遺した仕事に従事している方のガウディ評なんて面白いに決まってる!と思って買うのを即断した本。

いま、11/9に出たばかりの『忘れる読書』(落合陽一)というを落合氏が読書について語った本を読んでいるんだけど、その中にも外尾氏の名前と『ガウディの伝言』は出てくる。
期待感ばかり高まっていてまだ読み進められてないのは本当に良くない。それもこれも私が本を買い込みすぎるのが原因なのだが、、、、

 

情報化社会(死語)

『最前線で働く人に聞く日本一わかりやすい5G』は、2021年7月に出版された5Gの概説書。
ホットなトピックなので5Gに関連する本は多数出ているのだろうけど、たまたまブックオフで見つけた割には発行年度そこまで古くないし550円と安価で売られていたので良い機会だと思って勉強することにした。

メタバースやNFTもそうだけど、芸術や表現を志す者として次世代のインターネット技術を押さえておかないわけにはいかないと思うのね。

私はダンスや舞踊が専門なのだけど、原始時代や近代改善の日本の思想を取り入れた、今までにないジャンルの踊りを提唱しようとしており、正直言うと進歩主義的なテクノロジーの発達には消極的な立場にいる。
だけれど、それが新しい技術を学ばなくていい理由にはならないし、自分が提唱するものを広めるためにはどんどんとフロンティアに漕ぎ出すべきだろうという認識も持ってはいる。

この本は、5Gだけでなく1G~4Gまでの流れも解説されており、今までの生活で見知った技術と地続きで学べるので「今までできなかったけどこれからできるようになるもの」が理解しやすい構成になっている。

また、様々な業界・分野の人々に聞いた情報を元に今後起こりうるであろう技術革新をまとめてくれているので、横軸の情報密度も広くてなかなか良い本。

本当は自分の表現に直接結びつくものだけに時間を集中させたい、という気持ちはあるんだけど、そういうことをしていたら自分の脚で立てる表現者にはなれず、ずっと弱い立場で創作していくことしかできないだろうなと思っている。
自ら語れるようにはならずとも、専門家のする話にせめて追従できるくらいには新しい技術について見知っておくようにしたい。

 

次回は10/26に買った本。
4日しか間隔空いてないのに次は15冊買いました。乞うご期待。

【書籍紹介】西岡常一『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』(後編)【10月18日に買った本の紹介⑩】

 

(前編)はこちら。
【書籍紹介】西岡常一『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』(前編)【10月18日に買った本の紹介⑩】 - 北澤の雑記ブログ

 

 

 

内容紹介・感想

稲と話す農民、本と話す農学生

農学校卒業後、祖父に命じられ1年間農業に従事した氏は、学校で学んだ通りに農業をしても周りの農学を学んでいない農民よりも収穫が少ないことに疑問を持った。

それに対し祖父は、

「お前はな、稲をつくりながら、稲とではなく本と話し合いしてたんや。農民のおっさんは本とは一切話はしてないけれど、稲と話し合いしてたんや。農民でも大工でも同じことで、大工は木と話し合いができねば、大工ではない。農民のおっさんは、作っている作物と話し合いできねば農民ではない。よーく心得て、しっかり大工をやれよ」

と語ったという。


氏は当時を述懐して、

「実際にやってきたものの強さがあるんですな。」
「木も建物も、同じですわ。作りながら話し合って、はじめてわかるこというのがあるんです。」

と語っている。

 

学者との対立

この記述が出てくるのは、「第六章 棟梁の言い分」という、氏が法隆寺薬師寺再建に際して学者と巻き起こした様々な論争を描いた章だ。

両者の間で、長く保つ良い修復を施したい、という意見は一致していた。

しかし、手仕事で経験を積み、木を活かせばそれだけで耐用年数が保つと実感している氏と、建築学の観点から、西洋建築を参考にしたり鉄骨を用いたりと新たな技術を取り入れて長く保たせようとする学者の間の溝は深かったようである。

氏は、その件に対して

「結局は大工の造った後の者を系統的に並べて学問としてるだけのことで、大工の弟子以下ということです。」

と痛烈な言葉を残している。

 

「学者」と「実践者」

このような、学者と作り手、いわば「実践者」の間に隔たりが生じる例は珍しくはない。
なぜなら、学者が扱う「学問」は、構造上常に実践者の後手後手に回らざるを得ないからだ。

「学問」の性質

学問とは、「ある分野について体系的にまとめられた知識や技術」を指す言葉である。
その体系化の作業は、基本的に「現実に起こっている事象を分析し、それを言葉で説明すること」で成り立っており、それを本分とするのが学者だと言える。

事象を分析する作業が研究、それを説明する作業が論文発表だ。

建築学では、学者の他にも実際に建物の実現に携わっている建築家がいる。
実際に手を動かす建築家と、既存の建築を分析・評価する学者では、活動していて手に入る知識が全く異なってくるのである。

新しく設計を計画する際に、今までの建築物の情報をベースに合理的な立案をするのは学者の得意な領域であるが、その案を実際に実現しようとする場合、合理的だと思っていた部分がどうしても道理に合わないというケースはよく生じる。
そのとき、それに対処できるのは現場で経験を積んでいる実践者の能力だけである。

「学問」の取り扱い

学問が立派な営みであることは間違いなく、歴史や前例を学ぶのは大切なことである。
しかし、学問が既にこの世の全てを解明しているかと言えばそうではないし、そもそも解明し切ることなんて土台無理な話である。

忘れてはならないのは、理屈抜きで自らの身体で経験をしないと理解できない物事も多く存在する、ということだ。

体系化された知識を得ると、ややもすればその体系化されたもの以外を理解するのが困難になってしまう場合がある。
お互いに良いものを作ろうとしているのに、知識ベースか経験ベースかで意見が全く食い違ってしまう、という場面は珍しくない。

特に、建築学のような、学者よりもまず先に実践者である建築家がいる分野の場合には、学者の分析しきれない、実践者だけが知りうる事実があることは念頭に置かなければならないだろう。

「学問」と「実践」の均衡を保つ

私が活動の中心にしている踊りも同じである。
身体に関する学問には解剖学や運動生理学があるが、私が日々自分自身の踊り方を研究しながら、それらの勉強も並行して行っていて思うことがある。

確かに、身体に関する学問を学べば、自分の身体をより良いものにするために良い作用があるのは間違いない。
しかし、身体には個体差があり、それらの学問の内容が全て私の身体にも当てはまるわけではないのだ。

踊りはスポーツではなく芸術表現であるため、パフォーマンスのために最適な身体の動かし方があるわけではない。
例えば、身体の角度や軌道・使う筋肉の数一つで見た目の印象が変わる繊細さがある表現のなかで、知識による先入観は毒になることもある。

実践者でありながら学問もやるという場合には、常に前者の心意気が勝るように振る舞っていなければならない、と私は考えている。
そうしていながらも知識が直感を邪魔する場面も多く、経験や身体で腑に落とせていない知識は利益よりも不利益になることの方が多いのではないかと真剣に思うほどだ。

 

所感

本物は、古くならずに深くなる。

法隆寺が素晴らしいのは世界で一番古い建築物だからではなく、気候・環境の違う中国大陸から伝来した木造建築技術を、日本の風土に合うように見事に再構築した、「人間の魂と自然を見事に合作させた」知恵が宿った建築物だからだ、と氏は言う。

街中やネット上で数多の広告に晒される私たちは、何かの良し悪しを判断するときに内容を精査せずに評判や見てくれだけで判断してしまいがちだ。
中でも、建築を含む文化物や芸術表現に関して、「最も○○だから良い」「人気だから良い」と価値判断してしまうことは、本来作り手がそれに込めたであろう意思や文脈を推察する機会を逃すことに繋がりかねない、とても浅ましい行為である。

自分の身体でもって経験と知恵を付け、木や土といった自然と対話し、先人の技術を尊重し、優れた建築物を生み出せるようになった氏が語る現代への批判は、決して古びることなく、当時よりも深く核心に迫る本物の言説となっている。
私はそう感じずにはいられない。

自ら作り続け、先人と対話し続ける。
一人の芸術家志望として、そういった営みを絶えず繰り返していきたいと、改めて思い起こさせてくれる本だった。

 

 

 

 

【書籍紹介】西岡常一『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』(前編)【10月18日に買った本の紹介⑩】

『木に学べ 法隆寺薬師寺の美』西岡常一 小学館ライブラリー

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法隆寺薬師寺の宮大工棟梁が著者の本。
元々色々な職種の人の仕事の話を知るのが好きで、大工の棟梁でしかも寺院に関わっている人となると俄然興味が湧いたため手に取った。

本文は語り口調で書かれており、宮大工棟梁という荘厳な職業とは打って変わって、かなりの親近感を持って読み進められる本となっている。
それでいて内容は核心的。

寺院の部材となる樹木と、それを育む大自然への思いやりに満ちた生命観や、1000年を越える歴史を持つ建造物を後世に繋げるべく身を捧げた人生観には、軽率な気持ちでは立ち入れない厳格さも含まれている。

同じく手仕事をしている身として学ぶところが多くあり、とても読み応えがあった。

惜しくも既に亡くなられてしまっているが、本という媒体を通してこの方の生き様・哲学に触れられたことは、非常に有難い。

 

 

目次

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著者紹介

西岡常一氏は、1908年生まれ・没年1995年の、法隆寺の宮大工棟梁を務めていた人物。
『木に学べ』の初版発行は1988年で、当時は80歳になる。

法隆寺のほか薬師寺でも伽藍や塔の修復に携わり、多くの仕事で棟梁を務めていた。
法隆寺といえば世界最古の木造建築物であり、その修復に携わる第一責任者だったというだけで、優れた人物であったことが想像できる。

「樹齢1000年の木で作った建物は1000年保たせねばならん」

「木を知るには土を知れ」

等の発言が氏に関する多くの評伝で名言とされており、自然が育んだものに対する畏敬の念を大切にしていたことがよくわかる。

修復作業の中でも、学者とは意見が衝突することが多く、当時理論上最適とされていた建築技法に対して、自身の経験や知恵から断固として己の意見を押し通し、限りなく建立当時の様式に近い形で寺院を修復することもあったようだ。

氏に付けられた「法隆寺の鬼」という氏の異名は、木や寺院に対して身体で向き合わず、学問だけで口を出す者に対する物言いの痛烈さに由来しており、学者たちの間で広まった呼び名らしい。

氏の祖父と父も同じく法隆寺の宮大工棟梁であり、幼少から仕事を継ぐことを念頭に育てられていたという。
1921年(当時13歳)の頃には祖父の勧めで農学校に入っており、その経験は大いに役立った、と氏は晩年に語っている。

 

内容紹介と感想

概略

「宮大工」という職業の特色、普段使いの仕事道具や再建に関わった法隆寺薬師寺の解説など、西岡常一氏の仕事について一通りを概観できるエッセイ集。
前述した通り、本文は全て語り口調で書かれているので、本といえどまるで肉声で氏の言葉を聞いているかのように、氏の人柄を感じ取りながら読み進めることができる。

晩年の書籍ということもあり、どの話題を切り取っても氏の深い思想が反映されている。

通奏低音として流れるのは、自然に対する愛と、自然と見事な共生をしていた建立当時の法隆寺大工への尊敬の念。

物言わぬ自然を敬い、木を利用するからには木の良いところを活かしきろうとする氏の精神は、農業で養った自然との関わり方や、宮大工として長らく樹木や部材に接した経験に由来するものだろうと本書を通して推測できる。

氏の歴史観

また、氏は携わった寺院について、建物内の部材の状態を見れば、どの部材がどの時代に付け加えられたものなのか判別することができると言う。

建立当時の飛鳥時代には、法隆寺の部材にはヒノキが使われていた。
樹齢が最も長くなるのはヒノキであり、曲がりや捩れといった「木のクセ」を活かして部材を切り出すと、その木の樹齢と同じか、それよりも長く保つ建物ができる、と氏は語る。

当時の大工が優れていたのは、ヒノキが一番長く保つということを理解していたことと、木のクセを活かしきった見事な仕事をしたことだと氏は絶賛している。

それに対し、後年の補修材はケヤキが使われており(鎌倉時代)、ヒノキの部材よりも先に反り曲がってしまったり、建立当時にはなかった装飾が付け加えられたりする(室町時代)例も出た、などと解説されている。

自然そのものや歴史上の文化物に対する知見が時代によって変化している、ということを宮大工ならではの視点で分析しており、特に古代・中世・近世を跨いで比較する解像度の高い歴史観には高い説得力が感じられ、非常に勉強になる部分だ。

華美に装飾された江戸時代の日光東照宮を嫌悪するのは、飛鳥時代の建造物を扱う氏ならではの質素で荘厳な美意識が根底にあるのだろう。

 

 

(後編)へ続く。

【書籍紹介】西岡常一『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』(後編)【10月18日に買った本の紹介⑩】 - 北澤の雑記ブログ

 

 

 



【書籍紹介】稲垣栄洋『はずれ者が進化をつくる』【10月18日に買った本の紹介⑨】

『はずれ者が進化をつくる』稲垣栄洋


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これは2020年6月に発刊された本。

去年くらいまでは一般書店で平積みされているのをよく見かける人気の本だったと思うんだけど、ブックオフの110円棚にあるとは思わなくて見かけたときはびっくりした。

レジ通してもちゃんと110円だったのでかなりいい買い物だなーと思った…。掘り出し物とはこのことだったのか

新刊当時から気になってたけど、積読しちゃいそうで我慢してた本だったので、買ったからにはきちんと読んでみることにした。

 

 

レーベル紹介

この本のレーベルである「ちくまプリマー新書」は、筑摩書房が中高生向けに出している、読みやすい内容・トピックを重視した新書のシリーズ。
内容の易しさ・難しさはあくまでも著者の匙加減によるので、中には手強い本もあるっちゃあるけど、題材は中高生にも身近に感じられる良質なテーマが揃っている。
中高生に身近なものはもちろん大人にとっても身近なテーマであるし、学び直しや未知の分野への入門としても最適で、私自身もお気に入りのレーベル。

特に、伊藤若冲モーツァルトレオナルド・ダ・ヴィンチなどの歴史上の偉人を詳しく解説した、「よみがえる天才」という二年前くらいから始まったシリーズが好きで、新刊が出るたびにチェックして全刊揃えているくらい。
https://www.chikumashobo.co.jp/special/primer_genius/

そんな優良レーベルから出た『はずれ者が進化をつくる』も、例に違わず、読みやすくその上で内容も濃いという良書。
新本では7刷以上の重版を記録している。また、2021年の中学入試の国語試験で問題文として出題された回数が最も多い本らしく、その内容の良さが証明されているだろう。

 

著者紹介

著者の稲垣栄洋氏は、静岡大学大学院で教授をされている方。専攻は「雑草生態学」。
岡山大学大学院農学研究家を修了してから、農林水産省静岡県農林技術研究所を経て現在の職に就かれているそう。
https://journal.rikunabi.com/p/career/25415.html

論文の発表頻度が高かったり研究数が多かったりで、精力的に仕事をされているのが窺える。
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200901051507584618

また、中学入試の国語試験での出題実績も2021年だけでなく2019,2020年とトップらしく、学生にもわかりやすいいい文章を書くことのできる、研究・教育共に優れた方なのだと推測できる。

 

内容紹介

はずれ者の動植物

生物学、その中でも主に生物の進化(生物進化学)を取り扱っている本。

本書で主役になっている生き物は、ライオンやゾウのような大きくて強い生物ではなく、ネズミやミミズといった小さく弱いとされている身近な生物たち。

自然界では、大きくて強い生物よりも、小さくて弱いけれど、その代わりに他の生物が持ってない個性を身に付けた生物(「はずれ者」)のほうが生存に有利になる傾向がある。
その理由が色々な生き物を実例にして紹介されている。

著者が「植物学者」であるというところがポイントで、動物だけでなく野菜や花、木や草などの植物の進化についても書いてくれている。
そこが他の進化学に関する本にはないところで、生き物の成り立ちについて、動物だけではない広い視野で学ぶことができる。
「植物も生きている」という実感が湧きやすくなるし、身の回りにある自然の見方が豊かになる。

はずれ者達から人間が学ぶこと

そして、この本の最もいいところは、個性的で多様な「はずれ者」の生物たちの姿を通して、「人は誰でも存在価値がある」と、自己肯定感を励ましてくれるところにある。

ちくまプリマー新書の主な読者層である中高生は、思春期を迎えて自分と他人の境界に敏感になる年代である。
認知できる視野が広がって社会の仕組みをある程度理解できるようになるし、望もうが望むまいが、学業や部活の成績で他人との比較を強いられるようにもなる。
その中で大切になるのは、自己のアイデンティティを早い段階で確立し、他人との比較で自分を卑下しないようにすることだ。

本書の目次を見ると、「個性」「ふつう」「多様性」といった単語の意味を問うている、一見進化学とは関係のなさそうな見出しが並んでいる。
この本は、学生にとって馴染みの深い生物(理科)を題材にしながら、自己肯定や自己受容の心を養う手伝いをしてくれる。
中学入試問題に多く採用されたという実績の根拠は、この2つの掛け合わせが巧みだったところにあると思う。

アイデンティティの確立や他者との比較といった問題は、大人であっても完全に解消するのは難しいもので、大人の学び直しや読書の入門としても最適な本だ。
歴史上の偉人も、誰もがはずれ者で変わり者だったし、幸福度の高い集団は、皆が皆の個性を認め合っている集団だったりする。

自分のことをもっと好きに思えるようになる本であり、他人との関わり方を見直させてくれる本でもある。

ヒトを生んだのは自然であり、大切なことは、親である自然が全て教えてくれるのだと思う。

 

 

 

 

【書籍紹介】村上春樹『本当の戦争の話をしよう』『国境の南、太陽の西』『走ることについて語るときに僕の語ること』【10月18日に買った本の紹介⑧】

・『本当の戦争の話をしよう』T・オブライエン著、村上春樹訳 文春文庫

・『国境の南、太陽の西村上春樹 講談社文庫

・『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹 文春文庫

 

 

目次

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記載の目次は『走ることについて語るときに僕の語ること』のもの。

 

買った理由

普段本を買うときは新本書店や街中の個人店の古本屋、もしくはAmazonが多い。
そんな中珍しくブックオフで本を買おうと思いついたきっかけは、村上春樹の書籍に手を出したいと思ったからだった。

ブックオフは漫画や文庫本小説、ビジネス書のような駅中書店に似たラインナップの本が多くて自分の好みには合わないかな、と思ってたんだけど、探してみると掘り出し物のいい本がたくさん転がってることがわかったので今まで利用してなかったのを悔やんだ。

やはり大手チェーン店なだけあって、110円棚の充実度は半端ないな、と。
10/18に買った本は全て110円の棚から取ってきた(https://ck-mugera.hatenablog.com/entry/2022/10/26/201636)。
個人店じゃこうはいかないよな〜と買い込みながら感心して唸ってた…。

ここ一年くらい、読書といえば身体科学や芸術系・ビジネス書などの実用書(あんまり好きじゃない言い方だけど)に偏っていたから、物語も読むようにしたいと最近思っていた。
その中で真っ先に思い浮かんだ作家が村上春樹だった。
(「物語も読むようにしたい」と思うようになったのは『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』という文章技術に関する本の影響。)

翻訳家やランナーなど、多くの顔を持つ彼のパーソナリティに興味があって、その活動や経験がどう物語に滲み出ているのか、あるいはその物語がどう他の活動に影響を与えているのか、確かめてみたくなったのだった。


彼の文章に関する美学は、以前読んだ『小澤征爾さんと、音楽について話をする』で知っていた。

今まで作家については、その人の作品を読むよりも、エッセイや評論を読んでその人の考えていることを直接的に学ぶことが多かった。
例えば森博嗣氏の新書は今までに4冊くらい読んだことがある。
私もダンサーという創作活動にエネルギーを注いでいる身なので、近親の業種として作家が何を考えているのか、というのにはかなり興味があったのだ。

最近、特に何か理由があったわけではないけれど、小説家のエッセイだけでなく作品を読まないとどうにもつまらないな、と気にし始めた。
作品も評論もどちらも読むのがいいよね。(時間が取れれば、という贅沢な話なのだけれど…。)

そんなわけで、翻訳書と自著とエッセイを一冊ずつ購入。
亀のスピードで読み進めてるけど、含蓄あって面白いです。